White Album 2/Script/2003

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1	小春	Koharu	「そっか…彼から電話かかってきたんだ。 良かったね美穂子」	Oh.He called in. It's so good Mieko.
2	小春	Koharu	「え…あ、うん、そうなんだ。 それは…うん、うん…そうかもしれないけど」
3	小春	Koharu	「でもさ、わたし思うんだけど。 これで良かったんじゃないかなぁ？ あいつ、何だか言ってること変だったし」
4	小春	Koharu	「………え？」
5	小春	Koharu	「そ、そりゃ… 確かにわたしは会ったことないけど… でも、美穂子の話聞いてるとさぁ」
6	小春	Koharu	「う…」
7	小春	Koharu	「あ～、ごめん、ごめんなさい。 よく知りもしないで彼のこと悪く言ったりして。 うん、そうだね、話してみないとわからないよね」
8	小春	Koharu	「…え、ええ？」
9	小春	Koharu	「け、けどさぁ… 彼、もうバイト辞めたんだよね？ 会って話すって、どうやって？」
10	小春	Koharu	「大学のほう、乗り込む？ 美穂子にそれができる？」
11	小春	Koharu	「…でしょ？ だからさぁ、もう諦めたほうが…」
12	小春	Koharu	「………っ」
13	小春	Koharu	「わかった、わかったから。 だからもう、泣かないの」
14	小春	Koharu	「そうだね、もう一度会って話さないとね。 自分の気持ちに決着つけないとね」
15	小春	Koharu	「頑張れ、美穂子。 わたしもできる限り応援するからさ」
16	小春	Koharu	「うん、うん… じゃ、そろそろ学校出ておいでよ。 みんな寂しがってるよ」
17	小春	Koharu	「うん、じゃあね」
18	小春	Koharu	「…ふぅ」
19	女子生徒１	Female Student 1	「おっはよ、小春」
20	女子生徒２	Female Student 2	「なに？　今の矢田から？ 今日も休み？」
21	小春	Koharu	「あ～…おはよ、早百合、亜子。 今日もギリギリだね」
22	早百合	Sayuri	「なに、まだフォローしてんの？ 別にどこも悪くないんでしょ？ 推薦がほとんど決まったからサボってるだけで」
23	小春	Koharu	「そんなんじゃないんだよ。 ちょっと色々あってさ」
24	亜子	Ako	「あのコ、ちょっと勝手なところあるよね。 小春が面倒見すぎるから頼り切ってる感じ」
25	小春	Koharu	「だから、そんなんじゃ…」
26	早百合	Sayuri	「ね、本当に矢田も連れてくの？　卒業旅行」
27	小春	Koharu	「当たり前じゃない。 今さら何言ってるの？」
28	亜子	Ako	「あのコさぁ、修学旅行のときもちょっと揉めたじゃん。 で、旅館で雰囲気悪くなっちゃって」
29	早百合	Sayuri	「思い込み激しいところあるんだよねぇ。 一人で勝手に落ち込んで、周りまで暗くするみたいな」
30	小春	Koharu	「揉めるってのは本音で話せてる証拠。 あんたたちだって、 好きだからキツいこと言うんでしょ？」
31	亜子	Ako	「なのかなぁ…」
32	早百合	Sayuri	「ま、小春がそう言うなら」
33	小春	Koharu	「それよりもこっちの資金難の方を心配して。 そろそろバイト始めないとヤバいかも」
34	亜子	Ako	「貸すよ？　足りなかったら。 別に返すのはいつでもいいし…」
35	小春	Koharu	「そういうブルジョアなこと言わないで。 さ、ホームルーム始まるよ。教室戻ろ？」
36	早百合	Sayuri	「は～い、委員長殿」
37	小春	Koharu	「前期のね」
38	孝宏	Takahiro	「よ～、おっはよ～杉浦！ 急がないと遅刻だぞ～」
39	小春	Koharu	「遅刻はそっちでしょ！ 委員長のくせに廊下を走るな小木曽！」
40	亜子	Ako	「後期がアレじゃねぇ…」
41	千晶	Chiaki	「…んぅ？」
42	千晶	Chiaki	「まぶしっ…」
43	春希	Haruki	「もうとっくに夜が明けてるからな」
44	千晶	Chiaki	「ん～…ふあぁぁぁぁ～。 そういえば、今、何時ぃ？」
45			始業前に、『もしや』と思い顔を出した荻島研究室には、 その『もしや』の素が、またしても寝袋に包まれていた。
46	春希	Haruki	「８時４０分」
47			それでもまだ、時間を聞かれる辺りは、 曜日を聞かれた先週に比べたら進歩…
48	千晶	Chiaki	「ちょっとぉ…まだ一コマ目も始まってないじゃん。 もう少しゆっくり寝かせといてよぉ。 まだ昨夜の酒、抜けてないのに～」
49			なんて、そんな低いレベルで満足してたら、 とてもじゃないが可哀想過ぎる。
50	春希	Haruki	「突っ込みどころが多すぎて まともに反論する気も起きないが敢えて一つ… レポートも書かない奴が学校に泊まり込むな」
51			今後の俺が。
52	千晶	Chiaki	「ふあぁぁぁ～」
53			寝袋からむくりと起きあがり、 髪をかき上げながら盛大にあくびをする和泉。
54	春希	Haruki	「早く起きろ。 先輩たちが来る前に片づけて出てけよ」
55	千晶	Chiaki	「女の寝姿を目の当たりにしてんだからさぁ、 もう少し照れが入ってもいいんじゃないぃ？」
56	春希	Haruki	「俺にそういう態度を取って欲しいなら、 もう少し色気のある仕草とか表情とか喋り方とか、 あるんじゃないのか？」
57	千晶	Chiaki	「なに？　春希ってばそういう 思いっきり女の子っぽい女の子が趣味な訳？」
58	春希	Haruki	「………そんな話はどうでもいいだろ」
59	千晶	Chiaki	「あ～、自分から振っておいて～逃げてる。
60	千晶	Chiaki	…って一つ突っ込むと十個言い返されるから やめとくね」
61	春希	Haruki	「自分だけ溜飲を下げておきながら、 俺の反撃を封じるな。汚いぞ」
62	千晶	Chiaki	「で、春希はどうしてわざわざ朝早くから、 そんな色気のない女に会いに来たわけ？」
63	春希	Haruki	「朝でないと大学いないじゃないかお前…」
64			和泉に会いに来たと決めつけられたのは癪だが、 今回ばかりは事実なので言い訳もできない。
65	千晶	Chiaki	「…とうとう、あたしに本気になった？ さっきから色気がない色気がないって言ってたのは、 本当の気持ちを隠すための照れ隠し？」
66	春希	Haruki	「ああ本気だとも」
67	千晶	Chiaki	「…おぉぅ」
68	春希	Haruki	「未提出のレポートの締め切り、 教授に頼み込んで冬休み前まで延ばしてもらったから。 何が何でも完成させてもらうぞ」
69	千晶	Chiaki	「うぁぅ」
70			考えてること全部顔に出るな、こいつ。 何というわかりやすい奴。
71	春希	Haruki	「どうやら和泉の教育係らしいからな、俺は。 任命されたからには全力で当たる所存だ。 今後ともよろしく」
72	千晶	Chiaki	「…あれ本気だったの教授？」
73	春希	Haruki	「…らしい」
74			と言うか、嘘から出た誠だったみたいで。
75			何しろ、今の出席率と課題提出率と試験結果では、 和泉は遠からず除名処分になるのが確定という状況で。
76			そんなところにひょっこり顔を出し、 彼女を心配するそぶりを見せてしまった俺は、 教授にとっては地獄で棒に当たったようなものだったとか。
77	千晶	Chiaki	「ちょっとぉ春希… なんでそんな勝手な約束取りつけて来るのよ？」
78			そして和泉は予想通り、 自分に背負わされた理不尽な義務に怒る。
79	千晶	Chiaki	「レポートとか課題の未提出なんて、 気づかれなければどうってことないじゃん」
80	春希	Haruki	「あるわい！」
81			…あまりにも理不尽な言い草とともに。
82	春希	Haruki	「そもそも絶対気づかれてるから。 ちゃんとチェックされてるから」
83	千晶	Chiaki	「…いざとなったら手伝ってくれるんだよね春希？」
84	春希	Haruki	「まぁ、少しくらいなら。 教授にも頼まれたし…」
85	千晶	Chiaki	「よし、じゃあ担当分け。 テーマ選定と資料集めとレポート作成が春希で、 その他全部があたしってことで…」
86	春希	Haruki	「それ全工程だから！ 何一つ自分でやるつもりないのかよお前は！？」
87	千晶	Chiaki	「見守ってあげる。側にいてあげる。 あ、午前中とか深夜とか、空いてる時間だけだけど」
88	春希	Haruki	「そっちが俺の立ち位置だろ…」
89	千晶	Chiaki	「え～」
90			しかも、それだけのことにすら時間制限って… こいつは一体、一日を何時間で生きてるんだ？
91	春希	Haruki	「そもそも俺、和泉が大学にいるの、 寝てるか飯食ってるときしか見たことないぞ？」
92	千晶	Chiaki	「だってさぁ…あたしがここ来るのは、 本能に根ざした欲求に勝てなくなった時だけだし」
93	春希	Haruki	「大学来てないときは何やってんだよ…」
94			食欲と睡眠欲以外の項目については 考えないことにしよう。
95	千晶	Chiaki	「そりゃまぁ、遊んだり？ 趣味に時間費やしたり？ 大声出して騒いでたり？」
96	春希	Haruki	「一つ一つの行動が全然脈絡ないじゃないか。 あと、こっちの質問に対して疑問形で答えてるぞ。 そういう日本語の使い方をするな、国文のくせに」
97	千晶	Chiaki	「言葉の使い方なんて時代で変わっていくんだから、 ずっと古い用法にこだわって文句ばっか垂れ流すのも イタいと思うんだなあたしは」
98	春希	Haruki	「もういい。何とでも言え。 とにかく和泉のレポート提出期限は今月中。 クリスマスも正月も返上したくなかったら何とかしろ」
99	千晶	Chiaki	「…逃げたね？」
100	春希	Haruki	「何とでも言えと言ったはずだ」
101	千晶	Chiaki	「むぅぅ…」
102			俺に論争する気すら起こさせないとは、 なんというどうしようもない屁理屈だ…
103	春希	Haruki	「というわけで、これから毎週水曜は、 ゼミの後、夕方から空けとけよ？」
104	千晶	Chiaki	「…それはつまり、あたしにゼミに来いと？」
105	春希	Haruki	「所属してんだから来て当然だろ？」
106	千晶	Chiaki	「し、しかも夜の研究室で春希と二人きり？ …それはマズいんじゃない？」
107	春希	Haruki	「大丈夫、夜なら先輩たちもいる」
108	千晶	Chiaki	「え～、あたし人がたくさんいると集中できない」
109	春希	Haruki	「なんて身勝手な… お前、人生もうちょっと真面目に生きろよ」
110	千晶	Chiaki	「一番の新入りのくせに態度でかいこと」
111	春希	Haruki	「でないとずっとパシリ扱いする奴がいるからな」
112	千晶	Chiaki	「………」	"........."
113	春希	Haruki	「………」	"........."
114	千晶	Chiaki	「仕方ない。特別に面倒見させてあげよう。 あんたも理解のある仲間を持って幸せ者だね、春希」
115	春希	Haruki	「っ…」
116			こ、こいつ…
117			俺じゃなかったら今ごろ犯されてるところだぞ。
118			………	.........
119			いや、そもそも和泉は元からそういう奴だったっけ。
120	千晶	Chiaki	『…見かけない顔だね？』
121	千晶	Chiaki	『転部？　なに？　じゃああんた、ここでは一年生？』
122	千晶	Chiaki	『そっか…それじゃ、歓迎会やらないとね。 ううん遠慮しないの。今日から仲間でしょ？』
123	千晶	Chiaki	『…というわけだからビール買ってきて。新入り』
124			専門課程になって最初の教室で 隣同士になったのが運の尽き。
125			政経から転部してきた俺が物珍しかったのか、 その日のうちに缶ビールでの歓迎会、学食での二次会、 居酒屋での三次会と、次々に連れ回されたっけ。
126			…俺の出たばかりのバイト代を原資に。
127			………	.........
128			けれど、こいつのこの仕打ちが原因で、 俺は一週間で同学年の奴ら全員に顔を覚えられ…
129			そして、付属の頃のように、 全員の頼まれごとを引き受けるようになった。
130	千晶	Chiaki	『お～、書き込み凄いね。 じゃ、ちょっとこのノート借りるよ、北原』
131	千晶	Chiaki	『え～、なに？　荻島ゼミ行くの春希？ あそこ課題多いって話だから別のところにしない？』
132	千晶	Chiaki	『…仕方ないなぁ。 あたしが落第しないように、 ちゃんとフォローしてよ？』
133			整った顔。引き締まったプロポーション。 少し気怠げながら、耳をくすぐるような心地良い声。
134			ここまで造形的に良くできた女でありながら、 ここまで女を感じさせない女は初めてだった。
135			１．苦手だ、こいつ		Choice
136			２．なんとなく心地良い		Choice
137	千晶	Chiaki	「ちょっとぉ、何そのしかめっ面は？」
138	春希	Haruki	「…知り合いによく怒られるよ。 『思ったことがすぐ顔に出る』ってさ」
139			今までに経験したことのない、 まったく初めてのタイプの、 友人にも恋人にも当てはまらない奴。
140	千晶	Chiaki	「春希さぁ… 身近にいる大切な人を、もうちょっと大切にしなよ？ 失ってからじゃ遅いよ？」
141	春希	Haruki	「………お前にだけは言われたくないね」
142	千晶	Chiaki	「ネタにし切れてないよ？」
143	春希	Haruki	「………」	"........."
144			あまりに考えなしに、けど真実を突く和泉に、 冷静に突っ込んでいいのか、 感情にまかせて反論すべきなのか迷ってしまった。
145			俺がこいつを苦手に思う理由の一つがこれ。
146			心を覗かれているのか、何も見ていないのか、 全然わからない。
147			いつも飄々として馴れ馴れしいけど、 そこから発せられる言葉は、 俺が油断したときに限って痛いところを突く。
148			しかも、そうやって俺を刺激しておきながら、 友人としての線引きは計ったように正確で、 壊滅的な溝も、決定的な交わりも生み出さない。
149			天然だとしたら、人付き合いの天才。 計算だとしても…人を陥れる天才。
150			…考えすぎだとは思うんだけど。
151	千晶	Chiaki	「…何笑ってるの？ そんなにあたしと一緒にいられるのが嬉しい？」
152	春希	Haruki	「まさか」
153			ああ、嬉しいね。
154			言ったところで、周囲にはあまりに奇異に見られ、 しかも和泉には当然のように受け止められるこんな言葉、 百害あって一利なしだから絶対に口にしないけど。
155			それでも、普通に友達でいられる和泉のことが 心地良かった。
156			見返りが来ることを恐れずに世話を焼けることが、 俺にとってはありがたかった。
157	春希	Haruki	「ただまぁ、少しでも和泉がやる気になってくれたなら、 そっちは嬉しくないこともないような気がする」
158	千晶	Chiaki	「…持って回りすぎだよ春希」
159			逃避かもしれない。
160			『女の子』と、まともに向き合えなくなった俺が、 何とか『女に分類される人間』と一緒にいることで、 男としてのバランスを保とうとしてるだけかもしれない。
161			…何しろ、この失礼な発想をできることが、 和泉千晶という友人の、かけがえのない部分だから。
162	春希	Haruki	「こっちに来て、 初めて俺に声を掛けてくれた恩人だからな、和泉は」
163	千晶	Chiaki	「春希…」
164			馴れ馴れしいけど、深く踏み込んでこない。 損得勘定で付き合える。
165			人から受けた恩や好意を、都合良く忘れてくれる。
166			そうやって、俺の抱えたものを忘れさせてくれる ダメさ加減が心地いい。
167			それこそが、今の俺が異性に求める気持ち。 だから…この女とは恋愛抜きで友達でいられる。
168	千晶	Chiaki	「それじゃ、毎週水曜ね。 夕方からあけといてよ」
169	春希	Haruki	「ああ、任せて…」
170	千晶	Chiaki	「あんたの体と、あんたの頭と、 それから、あんたの部屋の鍵をね」
171	春希	Haruki	「………」	"........."
172	千晶	Chiaki	「マンションの場所なら大丈夫。 ちゃんと覚えてるから」
173	春希	Haruki	「………」	"........."
174			専門課程になって最初の教室で 隣同士になったのが運の尽き。
175			政経から転部してきた俺が物珍しかったのか、 その日のうちに缶ビールでの歓迎会、学食での二次会、 居酒屋での三次会と、次々に連れ回され…
176			そこで潰れかけたこの女は、 あろうことか初対面の俺の部屋に上がり込んで、 そのまま四次会になだれ込みやがった。
177			………あの後の掃除は大変だったっけ。
178	千晶	Chiaki	「大丈夫。約束するから」
179	春希	Haruki	「な、何を…？」
180	千晶	Chiaki	「何もしないから。 少なくとも、あたしの方からは、さ」
181	春希	Haruki	「………」	"........."
182			再確認。
183			訂正。
184			やっぱ苦手だ、この女。
185	春希	Haruki	「で、テーマは決めたのか？」
186	千晶	Chiaki	「ま、ね」
187	春希	Haruki	「へぇ？」
188			本日のゼミも終わり、 研究室が４年や院生で賑わう時間帯。
189			やっと本当の目的で研究室を利用できる境遇にありながら、 大学にあっさり背を向けて、家路を急ぐ俺たち。
190			…何かが違う。 どこかが間違ってる。
191	千晶	Chiaki	「北陸地方の民話について、ちょっとね」
192	春希	Haruki	「…そりゃまたえらくマニアックな題材だな。 資料とか揃うか？」
193	千晶	Chiaki	「大学に入る前に一度詳しく調べたことあるから、 その時の資料を丸写しすればなんとか」
194	春希	Haruki	「………昔は勤勉だったんだな」
195			しかし今は、俺の隣にいる[R落第生^いずみ]のモチベーションを 保つことこそが、全てにおいて優先される。
196			部屋を提供したりとか、 マンションに女連れ込んだりとか、 二人きりで数時間を一緒に過ごしたりとか。
197			他の人間なら… いや、数年前の俺でさえ心ときめくはずのイベントが、 今はもう、ずっと胃に重くのし掛かる、ただの義務。
198	春希	Haruki	「それにしても… 和泉って向こうの出身なのか？ 富山？　石川？」
199	千晶	Chiaki	「東京生まれの東京育ちだけど… なんでそんなこと聞くの？」
200	春希	Haruki	「いや、なんでって…」
201			相変わらず目の付け所がエッジと言うか、 俺が思いつかないことを平然とやってのけると言うか。
202	春希	Haruki	「普通、地元の人間でもない奴が、 学園時代にそんなこと調べるか？ 大学受験とだって何の関係もないだろ？」
203	千晶	Chiaki	「………」	"........."
204	春希	Haruki	「…和泉？」
205			和泉は、そんな素朴な疑問を呈した俺の顔を、 また、心の中まで覗き込むようにじいっと見つめると…
206	千晶	Chiaki	「春希はさ、真面目で勤勉かもしれないけど、 無駄な努力をするゆとりがないよね」
207	春希	Haruki	「え…」
208			馬鹿にしてる訳じゃなさそうなんだけど、 なんだか少し残念そうなため息をつくと、 やっぱり俺の少し痛いところを突いてくる。
209	千晶	Chiaki	「どうせ今日の夕ご飯もさ、 コンビニ弁当か外食で済ませようとか考えてたでしょ？ せっかく二人で食べるのにさぁ」
210	春希	Haruki	「…いや、ちょっと待て。 お前、晩飯まで俺に作らせるつもりだったのか？」
211	千晶	Chiaki	「ほうらね？ そういう一切の無駄を省いた 非人間的な生活サイクルが…」
212	春希	Haruki	「それってゆとりとか余裕とか無駄を楽しむとか以前に、 俺が和泉に貢ぎっぱなしなのでは…」
213	千晶	Chiaki	「何て言うんだろ。男としての器小さくない？ あ～、あたしを失望させて欲しくないよね春希」
214	春希	Haruki	「お前のこと、お腹を痛めて産んだ記憶もないのに、 なんでここまでパラサイトされなくちゃ…あ」
215	千晶	Chiaki	「ん？」
216			和泉の、芸術的なまでに俺に合わせる気のない会話に、 いつものように脳を心地良く揺すられていたその時。
217			正門のところに、人待ち顔の、 昔見慣れた制服姿の少女。
218	春希	Haruki	「………」	"........."
219	千晶	Chiaki	「…？」
220			先週、同じように俺を待ち伏せて、 俺の感情をぐちゃぐちゃに掻き回してくれた…
221	千晶	Chiaki	「あのコ…？ 春希の彼女？」
222	春希	Haruki	「待て、何てこと言うんだ。 あの制服、付属のだぞ？」
223	千晶	Chiaki	「春希のワケあり女？」
224	春希	Haruki	「…人の言いたいことをきちんと理解してくれ」
225			向こうの視線が俺に向かったことを敏感に察知した和泉が、 わざと斜め上の質問をして俺に揺さぶりをかけてくる。
226			…ブラフだよな？ 本気で俺の守備範囲とか信じちゃいないよな？
227	千晶	Chiaki	「じゃ、なんなの？ 彼女に見つかると何かヤバいの？」
228	春希	Haruki	「実は…彼女の友達に、ちょっと悪いことして。 それで彼女を怒らせてて」
229	千晶	Chiaki	「………」	"........."
230	春希	Haruki	「な、なんだよ？」
231	千晶	Chiaki	「彼女の友達って、同級生なんでしょ？ …結局、付属のコに悪さしてんじゃん」
232	春希	Haruki	「待て！　『悪さ』と『悪いこと』の間には、 埋めようのない深い解釈の溝があること知ってて わざと誤解しただろ今！？」
233			………	.........
234	千晶	Chiaki	「なるほどねぇ…」
235			俺が大まかに事情を説明する間、 あのコ…杉浦小春は、ずっとこちらを睨んだまま、 けれど前みたいに自分から近寄ってこなかった。
236	千晶	Chiaki	「届かない想いに、伝わらない言葉に、 そして、わかってくれない大人… よっ、色男。年下殺し。犯罪者」
237	春希	Haruki	「黙れ」
238			それはきっと、俺の隣にいる、 遠目から見たら美人に見えなくもない、 しかも見ただけじゃ性格もわからないこの女がいるからで。
239			かと言って、前とちっとも変わらないあの様子じゃ、 このまま校門をくぐる時まで、 そうやって見逃してくれるかと言うと…
240	春希	Haruki	「和泉… ちょっとコンビニででも時間潰してて」
241	千晶	Chiaki	「どうすんの？」
242	春希	Haruki	「話してくる。 すぐに終わるから」
243			深呼吸を一つ。
244			そして、重く沈む気持ちを奮い立たせると、 まっすぐと、彼女の方向へ一歩を踏み出し…
245	千晶	Chiaki	「まぁまぁ待ちなさいって」
246	春希	Haruki	「は、[Rはらへ^はなせ]…」
247			シャツの襟を思い切り引っ張られ、 一瞬で目の前がふわりと暗くなった…
248	千晶	Chiaki	「ねぇ春希… ここは一つ、あたしに任せてみない？」
249	春希	Haruki	「ごほっ、げへっ、がはぁっ… お、お断りだ…っ」
250			『何てことしやがる！？　死ぬかと思ったぞ！』
251			なんて、どうせスルーされるツッコミは、 振ることすら無駄だとわかってるので省略。
252	春希	Haruki	「理由はどうあれ… というかこれは間違いなく俺の責任だ。 それに部外者に任せたら、あのコにまた何を言われるか」
253	千晶	Chiaki	「向こうだって部外者なんでしょ？」
254	春希	Haruki	「え？」
255	千晶	Chiaki	「ならあたしが出たところで部外者同士。 文句を言われる筋合いはないんじゃない？」
256	春希	Haruki	「あ、いや、それは…」
257			その正論を言ってしまったら、きっと彼女の闘志に 更に火を付けてしまうことになるだろう…
258			だって、俺ならきっとそうする。
259	千晶	Chiaki	「それに、女の子同士の方が話が通じやすいと思うよ？ どうせ春希、すっごくお堅い言葉で突っぱねて、 ますます相手の怒りを買ってるんでしょ？」
260	春希	Haruki	「…見てたのかよ先週？」
261	千晶	Chiaki	「ね？　ここはあたしに任せて？」
262			和泉の方も、ここでの無駄な突っ込みは控え、 シンプルに本題を切り出してくる。
263			…要するに、 真面目に彼女と話をしに行くつもりのようだった。
264	千晶	Chiaki	「春希、あたし以外の女の子と話すの苦手でしょ？ 任せて。見事、一宿一飯の恩義に応えてみせるよ？」
265	春希	Haruki	「…俺、飯食わせるとも泊めるとも 言ってないんだけど？」
266	千晶	Chiaki	「さあさ、春希はスーパーで夕飯の買い出しでもしてきて。 その間にあたしが平和的に話をつけとくから」
267	春希	Haruki	「和泉…」
268			そこまで甘える訳にいくかよ。
269			お前なんかに任せたら、 話がさらにややこしくなるだけだ。
270			それじゃまるで俺が逃げてるみたいじゃないか。
271	春希	Haruki	「あのコ、一回しか話したことないんだけど、 かなり真面目で、融通が利かなくて、自説曲げなくて、 説得するの大変だと思う…」
272			なんて…
273			色々と頭の中に浮かんだ断りの文句を押し殺して、 俺が送ったのは、彼女と接する上でのアドバイス。
274	千晶	Chiaki	「大丈夫、だいじょうぶだって。 あたし、そういう気難しい人間の相手は慣れてるから」
275			だから和泉は、俺の気持ちが一歩後ろに下がったことを、 きちんと感じ取ってくれた。
276			この辺りの呼吸は、半年レベルの知り合いにしては、 本当に貴重な存在だと思う。
277			…最後にちょっとだけ意味のわからないことを 呟くことを除いては。
278			………	.........
279	小春	Koharu	「え…？」
280	千晶	Chiaki	「杉浦小春さん…だよね？」
281	小春	Koharu	「は…はいっ。 あの、あなたは…？」
282	千晶	Chiaki	「ちょっといいかな？ その、春希くんのことで…」
283	小春	Koharu	「………」	"........."
284			………	.........
285	小春	Koharu	「………」	"........."
286	千晶	Chiaki	「………」	"........."
287	小春	Koharu	「え、ええと…」
288	千晶	Chiaki	「ごめんなさいね。 初対面なのに、無理やり誘っちゃって」
289	小春	Koharu	「い、いいえ…別に」
290	千晶	Chiaki	「本当は、春希くんに用だったんだよね？」
291	小春	Koharu	「あ、え～と、その………ちょっと、はい」
292	千晶	Chiaki	「あなたの友達のこと？ 春希くんが迷惑かけたって言う」
293	小春	Koharu	「話したんですか？ 北原先輩」
294	千晶	Chiaki	「無理やり聞き出したの。 彼、最初は話すのすごく嫌がってたけどね」
295	小春	Koharu	「あ、あの…あいつ、じゃなくて、 北原先輩とは、その…」
296	千晶	Chiaki	「うん…まぁ、その…」
297	小春	Koharu	「あ…」
298	千晶	Chiaki	「えっと、実はね…」
299	小春	Koharu	[F16「なによあいつ…やっぱり嘘つきじゃん。 ][F16彼女いるなら最初から言えばいいのに」]
300	千晶	Chiaki	「ごめんなさい… わたし、あなたたちに謝らなくちゃならない」
301	小春	Koharu	「え？　え、あ、ちょっと！ や、やめてください」
302	千晶	Chiaki	「全部わたしが悪いの。 だから、春希くんのこと、許してあげて」
303	小春	Koharu	「そんな… わたし、別にあなたに謝ってもらう理由なんか…」
304	千晶	Chiaki	「あなたになくても、わたしにはあるの。 ううん、本当は、あなたのお友達に、なのかな？」
305	小春	Koharu	「和泉先輩…」
306	千晶	Chiaki	「彼がね… 女の子に対して冷たい態度を取ってしまうのは、 きっと、わたしのせいなんだ…」
307	小春	Koharu	「…どういう意味です？ だって、あなたと北原先輩って…」
308	千晶	Chiaki	「つきあってる。 ううん、つきあってたって言う方が正解なのかな？ …彼的には」
309	小春	Koharu	「え、ええと…」
310	千晶	Chiaki	「過去形に直したよね？ そういう意味」
311	小春	Koharu	「け、けど、さっき二人で…」
312	千晶	Chiaki	「うん、会ってくれる。話もしてくれる。 でも、今のわたしたちには、 決して踏み込めない距離がある」
313	小春	Koharu	「………」	"........."
314	千晶	Chiaki	「わたしが悪かったんだ。 自分の想いを強引に押しつけて、彼の都合も考えずに、 優しさに甘えて、心が通じ合ってるって勝手に信じて」
315	小春	Koharu	「それって…」
316	千晶	Chiaki	「結果、彼を苦しめちゃった」
317	小春	Koharu	[F16「同じじゃない…」]
318	千晶	Chiaki	「それ以来、彼、変わっちゃった。 心から笑わなくなった。 誰にでも、表面上の付き合いしかしなくなった」
319	小春	Koharu	「………」	"........."
320	千晶	Chiaki	「なのに相変わらずお人よしで面倒見がいいから、 いつも皆に頼られてる。彼の周りに人が集まってくる」
321	千晶	Chiaki	「だから、普通の人はその変化に気づかない。 今まで、彼に深く関わった人にしかわからない」
322	千晶	Chiaki	「けれど、だからこそわたしにはわかってしまう。 …見返りを、異常に怖がるようになったの」
323	小春	Koharu	「見返り…？」
324	千晶	Chiaki	「自分のしたことを、相手に感激されることが… それ以上の感情を抱かれることが、 とても辛く感じるようになったの」
325	小春	Koharu	「あ…」
326	千晶	Chiaki	「それでも彼は、いい人でいるのをやめられない。 ずっとそうやって生きてきたから、 今さら変えようがないんだよね」
327	小春	Koharu	「………」	"........."
328	千晶	Chiaki	「だから、いつもジレンマを抱えてる。 人にとても優しくしてしまうのに、 人から優しくしてもらうのが耐えられない」
329	小春	Koharu	「弱いよ…それ。 全然ダメだよ」
330	千晶	Chiaki	「彼はまったく逆のこと言ってたけどね。 あなたは強すぎるって」
331	小春	Koharu	「………」	"........."
332	千晶	Chiaki	「わたしの言いたかったのはそれだけ。 だからわたしが悪いんだって、わかってくれたかな？」
333	小春	Koharu	「一つ、聞いてもいいですか？」
334	千晶	Chiaki	「なに？」
335	小春	Koharu	「どうして、そこまで話してくれたんです？ 本当は、初対面の相手になんか、 そんなこと言いたくないですよね？」
336	千晶	Chiaki	「あなたたちの事情に介入する以上、 わたしたちのことも伝えておかないと 対等に話ができないって思ったの」
337	小春	Koharu	「…ありがとう、ございます」
338	千晶	Chiaki	「ううん、悪いのはこっちなんだから。 だって、わたしのせいなんだから」
339	小春	Koharu	「そんなこと…ないです」
340	千晶	Chiaki	「あなたにも、あなたのお友達にも、 嫌な思いをさせてしまったよね…」
341	小春	Koharu	「え？　あ、わたしは別に。 だたのメッセンジャーですから」
342	千晶	Chiaki	「それでも、ごめんなさい。 わたしが…わたしが、彼のこと、 ずっと捕まえていられれば、よかったのに、ね…っ」
343	小春	Koharu	「………え」
344	千晶	Chiaki	「っ…ぅ…ぅぅ…っ」
345	小春	Koharu	「あ、え、えっと…ちょっと」
346	千晶	Chiaki	「ふぇぇ…ぅぇ…や、やだな、もう… そんなつもりじゃなかったのに…」
347	小春	Koharu	「あの…これ、使ってください」
348	千晶	Chiaki	「ご、ごめん、ごめんね… みっともないとこ見せちゃって」
349	小春	Koharu	「いえ… ありがとうございました。 辛いこと、話してくれて」
350	千晶	Chiaki	「ううん、おあいこ。 だって、あなたもこれから、 友達に辛い話をしなくちゃならないんだから」
351	小春	Koharu	「そう、ですね」
352			………	.........
353	千晶	Chiaki	「お待たせ～。 さ、行こうか春希」
354	春希	Haruki	「…どうだった？ 彼女、怒ってただろ？」
355			正門のところで別れてから３０分。
356			ヤキモキしながら駅前で待つ俺のところに、 和泉はいつも通りのだるそうな笑顔で現れ、 いつも通りの仕草で買い物袋を覗き込んだ。
357	千晶	Chiaki	「ううん、いいコじゃん。 すごく物わかりよかったよ？」
358	春希	Haruki	「え…？」
359			その口調も、やっぱりいつも通りで、 全身が疲れと重さに包まれた俺のケースとは、 明らかに違う結果だったことが伺えた。
360	千晶	Chiaki	「春希の態度についても納得してたみたいだし、 もう二度と来ないんじゃないかな？」
361	春希	Haruki	「い、一体どうやって説得したんだ？」
362	千晶	Chiaki	「別に？ 普通に話しただけだけど？」
363	春希	Haruki	「…そうなのか？」
364			俺の時も、普通に話しただけのはずだったんだけど…
365			やっぱ、和泉の言う通り、 女同士ってのが功を奏したのか？
366			どうしても感情的になってしまう当事者より、 冷静に話のできる部外者の方が効果的だったのか？
367			それとも、まるっきり融通の利かなそうな相手には、 逆に、こいつの適当さの方が通用するということか？
368	千晶	Chiaki	「さあて、少し遅れちゃったけど夕飯にしよっか。 で、今日は何をご馳走してくれるのかな？」
369			色々と釈然としないところは残るけど、 事実として、和泉は意気揚々と引き上げてきた。
370	春希	Haruki	「いや、カレーにしようかと。 それなら作れるし」
371			またしても、俺の心の重石を取り除いてくれた。
372	千晶	Chiaki	「お～、やった～！　さすがは親友。 初っ端からあたしの好物引き当てたね？」
373	春希	Haruki	「そもそも和泉に苦手があることを想定してないから」
374			いつ学食に行っても、美味しそうに何でも食ってるし。 …俺の金だとなおさらその傾向が強いし。
375	千晶	Chiaki	「さ、じゃあ行こか。 確か春希のマンション、西口の方だよね？」
376	春希	Haruki	「その…和泉」
377	千晶	Chiaki	「ん？」
378	春希	Haruki	「悪かったな。 嫌なプライベートに付き合わせて」
379	千晶	Chiaki	「いいってば。 春希、あたしだから任せてくれたんだよね？」
380	春希	Haruki	「そう…なのかな？」
381			確かに、結果としてはそうだけど…
382			そもそも、こんな他人の面倒ごとを、 わざわざ背負おうなんて酔狂な人間がいることが…
383			…今回の当事者は全員そんな感じだけど。
384	千晶	Chiaki	「そんなことよりも、早く帰ろ？ あたしもカレー手伝うから。 急かしたり、味見したり、おかわりしたり」
385	春希	Haruki	「…もうちょっと『手伝う』という言葉にふさわしい 行動を取ってくれ」
386			それでもやっぱり、先週末よりも幾分軽い足取りで、 俺は、マンションへの短い道を歩き始める。
387			当然のように隣に並ぶ和泉とともに。
388	千晶	Chiaki	「わかったかな、子猫ちゃん？ 大人には色々とやり方があるんだよ？」
389	春希	Haruki	「…何のことだ？」
390			………	.........
391	千晶	Chiaki	「思った通り、片づいてるね～」
392	春希	Haruki	「なら、そのイメージを保つために協力しろ。 …要するに散らかすな」
393			結局、なし崩し的に和泉を部屋まで上げてしまった。
394			それどころか俺は今、そんな予期せぬ来訪者のため、 一生懸命ジャガイモとニンジンとタマネギを刻み、 煮えたぎる大鍋に放り込んでいたりする。
395	千晶	Chiaki	「掃除も行き届いてるし、 これじゃ長い髪の毛とか見つかんないかな～」
396	春希	Haruki	「お願いだから、 想像した通りのリアクションをするのはやめてくれ」
397			…そういえば、この部屋に女がいるのって、 何か月ぶりだろう。
398			そもそもこの部屋に上がった女と言えば、 依緒と目の前の女と………全部で三人。
399	千晶	Chiaki	「アルバム見せてアルバム～。 どこにしまってあるかな？」
400	春希	Haruki	「そういう恥かきアイテムは全部実家に隠匿」
401			もちろん、電車で１０分のところに住む母親は、 その三人の中に含まれるわけがない。
402	千晶	Chiaki	「ちぇっ、つまんな～い」
403	春希	Haruki	「安心しろ。 夕食が終わったらもっとつまらない時間の幕開け… って、いきなり寝るな！　暇なら手伝えよ」
404	千晶	Chiaki	「でもさぁ、人の家のキッチンって使いにくくない？」
405	春希	Haruki	「人の家のベッドも、 是非使いにくく思って欲しいものだけどな」
406	千晶	Chiaki	「あ、そっちは平気。 あたし枕変わっても全然気にならないんだよね～」
407			そりゃ、研究室の冷たい床で平気で寝る奴が、 今さら枕を云々したところで…
408	春希	Haruki	「前から言いたかったんだけどな和泉…」
409	千晶	Chiaki	「ん～？」
410	春希	Haruki	「お前、生活能力ないだろ？」
411	千晶	Chiaki	「そうなんだよねぇ。 卒業したら誰か囲ってくれないかなぁ」
412	春希	Haruki	「いや、あのな…」
413			久々に繰り出した俺の[R得意技^せっきょう]も、 日々自由に生きる和泉にはまるで通用しない。
414	千晶	Chiaki	「ね、ね、春希。あんたあたしのパトロンにならない？ 将来有望だよ？」
415	春希	Haruki	「そのお前の有望な将来ってのは、 せめて大学は卒業してるんだよな？」
416	千晶	Chiaki	「お、ギターめっけ」
417	春希	Haruki	「自分で振った話をいきなり投げ捨てるな」
418			本当に大丈夫か？　この極楽トンボ…
419			このままじゃ、卒業後社会に出ても今みたいに 日々自由に生きてるような気がしてならない。
420			…まぁ、そもそも卒業どころか進級すら怪しいからこそ、 今ここにいる訳だけど。
421	春希	Haruki	「なぁ、和泉。 お前、万が一大学を卒業することができたら…」
422	春希	Haruki	「って、人の話を聞けよ！」
423	千晶	Chiaki	「ね、ね、後で弾いてみてよ。 ギター弾いてる春希、見てみたい」
424	春希	Haruki	「お前、何のためにここに来たのか忘れてるだろ？」
425	千晶	Chiaki	「ちょっとだけだって～。 わかった、真面目にレポートやるから。 その代わり終わったらご褒美に弾いて？」
426	春希	Haruki	「………やめたんだ、ギター」
427	千晶	Chiaki	「え～？　もったいない！」
428	春希	Haruki	「別に…もともと大して上手くなかったし。 だから、なんの未練もなかった」
429	千晶	Chiaki	「そうなの？」
430	春希	Haruki	「…うん」
431	千晶	Chiaki	「そうなんだ…」
432			そうだよ。 未練なんかない。
433			あんなに練習したけれど。 あんなにしごかれもしたけれど。
434			でも、もう弾けないんだ。
435			だって楽しくないから。 嬉しいって思えないから。 二度と、思い出したくないから…
436	千晶	Chiaki	「～♪」
437	春希	Haruki	「っ！？」
438	千晶	Chiaki	「～♪」
439	春希	Haruki	「痛…ぅ…」
440	千晶	Chiaki	「？　どしたの春希？」
441			指を切った。
442			しかも、かなり深く。
443	春希	Haruki	「その歌…」
444			けれど口をついて出たのは、 そんな些細なことなんかじゃなくて。
445	千晶	Chiaki	「ああ、『届かない恋』？ ほら、先週から大学のミニＦＭで毎日流れてるじゃん」
446			指先が真っ赤に染まっていく。 なのに、傷の痛みなんか全然感じない。
447	千晶	Chiaki	「一年の冬のときに初めて聴いてさ、 一発でハマったんだよね」
448	春希	Haruki	「そう、なんだ」
449			別の鈍痛が、胸に広がっていくから。
450	千晶	Chiaki	「ボーカルも曲も好きだけどさ、 特に歌詞が気に入っちゃって。 …決して上手い訳じゃないけど、なんかキてね」
451	春希	Haruki	「ふ、ふぅん」
452	千晶	Chiaki	「だから、フルコーラス歌えるよ？　あたし」
453	春希	Haruki	「………」	"........."
454			指先に、冷たい水が流れ、 染み出てきた血を洗い流していく。
455			ちょっとだけ舐めた血の味が、 今ごろになって口の中にゆっくり広がっていく。
456	千晶	Chiaki	「ね、ね、そういえば春希って付属からの 持ち上がりだったよね？」
457	春希	Haruki	「そう、だけど…」
458			俺の血って、こんなに苦かったんだっけ…
459	千晶	Chiaki	「じゃあさ、実はこの歌リアルタイムで聴いてたりして？ 確かこれって三年前の付属祭でたった一度だけ…」
460	春希	Haruki	「多分、聴いてない、と思う」
461	千晶	Chiaki	「…そうなんだ」
462	春希	Haruki	「ああ… 勉強ばっかでイベントとか興味なかったし」
463	千晶	Chiaki	「………ふぅん」
464			………	.........
465	孝宏	Takahiro	「あ、ちょっと待って姉ちゃん。 今週のビッグスピリチュアル読んでなかった」
466	雪菜	Setsuna	「また寄り道？ もうお父さんたち、きっと着いちゃってるよ？」
467	孝宏	Takahiro	「いいじゃんちょっとくらい。 追っかけてる連載２つだけだからさ、５分！」
468	雪菜	Setsuna	「もう…」
469	孝宏	Takahiro	「姉ちゃんもほら、何か読んでなよ。 別冊リリアンの今月号出てるし」
470	雪菜	Setsuna	「大学入ってから読んでないよ漫画なんて」
471	孝宏	Takahiro	「ホント、進学してから若さがなくなったよな。 勉強が忙しいのか知らないけどさ、 毎日暗い顔ばっかでさ…」
472	雪菜	Setsuna	「孝宏はまだまだ若さを保てそうでよかったね。 …推薦落ちたんだって？」
473	孝宏	Takahiro	「しかもデリカシーもないなんて！ そんなんで北原先輩に振られても知らないぞ」
474	雪菜	Setsuna	「………上手く行ってるよ。 外野が余計なこと言わないでよ」
475	孝宏	Takahiro	「…逆鱗？」
476	雪菜	Setsuna	「知らない！ わたしに孝宏って弟なんかいない！」
477	孝宏	Takahiro	「あ、いや…ごめん。 だってほら、大学入ってから全然家に来ないし」
478	雪菜	Setsuna	「っ…もうそんな段階は過ぎたの。 みんながいたら落ち着いて二人きりになれないもん。 だからいつも彼の部屋で会ってるだけなんだもん…っ」
479	孝宏	Takahiro	「そういう生々しいこと言われても、 弟としてはかなり微妙なんだけど…」
480	雪菜	Setsuna	「本読んでるんだから話しかけないで」
481	孝宏	Takahiro	「…父さんと母さん待たせてるんじゃ？」
482	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
483	孝宏	Takahiro	「姉ちゃん…」
484	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
485	孝宏	Takahiro	「あ～あ…どうすんだよ。 これから家族揃って飯食うのに喧嘩はやめようぜ？」
486	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
487	孝宏	Takahiro	「姉ちゃんだって酷いこと言ったろ？ おあいこじゃん」
488	雪菜	Setsuna	「…？」
489	孝宏	Takahiro	「わかった、わかったって！ 『小木曽家は何事においても長女優先』 っていうウチの家訓を忘れてた俺が悪いんだよな」
490	雪菜	Setsuna	「………っ」
491	孝宏	Takahiro	「あ、いや、今のもネタだから…」
492	雪菜	Setsuna	「かずさ…？」
493	孝宏	Takahiro	「…は？」
494			………	.........
495	春希	Haruki	「っ！？」
496	千晶	Chiaki	「………」	"........."
497	春希	Haruki	「………」	"........."
498			惰性で開いた携帯のディスプレイには…
499			ここしばらく表示されていなかったはずの名前があった。
500	千晶	Chiaki	「…鳴ってるよ？」
501	春希	Haruki	「あ、ああ…」
502			さっきから、携帯が何度もコール音を繰り返しているのは、 もちろんわかってる。
503			ただ、指先どころか全身が動かなくて、 けれど心臓の鼓動だけは、耳鳴りかと思うくらい 大きな音を立てながら動いている。
504	千晶	Chiaki	「………」	"........."
505	春希	Haruki	「………」	"........."
506			額と背中と腋の下がありえないくらい熱を持ち、 それを冷ましに来たかのような、冷たい汗が伝う。
507	千晶	Chiaki	「早く取ったら…」
508	春希	Haruki	「っ…」
509	千晶	Chiaki	「あ…」
510			そして、ようやく動いた指先は、 ほんの数ミリ移動しただけで、 いつものように“彼女”にとって最低の行為をした。
511	春希	Haruki	「…悪かったな。 勉強中なのに、携帯の電源落としていなかった」
512	千晶	Chiaki	「あたしのせいにされても困るんだけどなぁ」
513	春希	Haruki	「っ…」
514			けど、その最低の行為は、 俺の目の前でゆっくり船を漕ぎ出していた奴にさえ、 しっかり最低だと認識されるくらい、語るに落ちていた。
515	千晶	Chiaki	「もしかして、あたしに隠したい？ そのくらいのスケベ心は持ってる？」
516	春希	Haruki	「そんなんじゃ…ない」
517	千晶	Chiaki	「そんな暗い顔すんな～。 慰めたくなっちゃうぞ～？」
518	春希	Haruki	「…ごめん」
519	千晶	Chiaki	「…はぁ」
520	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「留守番電話メッセージを受け取りました。 ご利用、ありがとうございました」
521	雪菜	Setsuna	「………」	"........."
522	孝宏	Takahiro	「姉ちゃん」
523	雪菜	Setsuna	「はぁ」
524	孝宏	Takahiro	「姉ちゃんってばさ」
525	雪菜	Setsuna	「っ？ あ、な、なに？」
526	孝宏	Takahiro	「ほら、買ってきたぞ。 開桜グラフ」
527	雪菜	Setsuna	「あ、うん、ありがと。 いくらだった？」
528	孝宏	Takahiro	「三千円」
529	雪菜	Setsuna	「そうなんだ。 はい、それじゃこれ…ちょうど」
530	孝宏	Takahiro	「………」	"........."
531	雪菜	Setsuna	「どうしたの？ お金いらないの？」
532	孝宏	Takahiro	「こんなペラい雑誌が三千円もするかよ。 三百円だよ十分の一。普通に払おうとすんなよ」
533	雪菜	Setsuna	「あ…そうなんだ…」
534	孝宏	Takahiro	「どうしたんだよ姉ちゃん？ さっきからなんか変だぞ？」
535	雪菜	Setsuna	「そんな、こと…」
536	孝宏	Takahiro	「そんなに凄い記事載ってたの？ な、どれだよ？　ちょっと見ていい？」
537	雪菜	Setsuna	「っ…駄目！」
538	孝宏	Takahiro	「うわびっくりした…」
539	雪菜	Setsuna	「駄目、駄目、見ちゃ駄目。 だって、わたしが最初に伝えたいのは…」
540	孝宏	Takahiro	「………」	"........."
541	雪菜	Setsuna	「あ…ごめん。 急に怒鳴ったりして。でも…その」
542	孝宏	Takahiro	「はぁ…ま、いいや。 とりあえず行こうぜ。 二人ともいい加減待ちくたびれてんだろ」
543	雪菜	Setsuna	「…そうだね。 もう、１０分も遅刻してる」
544	孝宏	Takahiro	「それじゃ、ちょっと急ぐぞ姉ちゃん」
545	雪菜	Setsuna	「うん」
546	雪菜	Setsuna	「今日だけは…逃げないで」
547			………	.........
548	携帯アナウンス	Cellphone Voicemail	「１件のメッセージを受け取っています。 １件目、１２月１日、午後７時５９分」
549	雪菜	Setsuna	「あの、こんばんは、雪菜です。 忙しいところに電話してしまってごめんなさい」
550	雪菜	Setsuna	「けど、どうしても今日中にお話がしたくて。 え、ええと…春希くん、今週の開桜グラフ見た？」
551	雪菜	Setsuna	「もし見てなかったら、絶対に目を通してください。 そして…もしよかったら、連絡をください」
552	雪菜	Setsuna	「今日なら、何時でもいい。 ずっと起きてるから。 朝方だって平気だから」
553	雪菜	Setsuna	「だから、その… ほ、本当に時間があったらで… もし良かったらでいいんだけど、その…」
554	雪菜	Setsuna	「………声を、聞かせてください」
555	春希	Haruki	「………」	"........."
556			通話の切れた携帯のディスプレイを見ると、 もう、午前３時。
557			和泉を駅まで送って、コンビニに寄って、 部屋に戻って、明日の予習をして、 シャワーを浴びて、ベッドに寝転がったらこの時間。
558			…いや、わかってる。 その間にも、この程度の留守電メッセージを聞いたり、 電話を掛ける余裕なんかあるに決まってたって。
559			そういえば、駅で別れ際、和泉に 『さっきの…ちゃんとコールバックしたげなよ？』 と言われて黙り込んでしまったなんてことも…
560	春希	Haruki	「開桜グラフ…」
561			その誌名だけで電話の内容がわかってしまったなんて、 掛けてきた雪菜にわかるはずがない。
562			俺が開桜社でバイトしてることも、 ヘルプで今週の開桜グラフの記事を手伝ってることも。
563			そんな、友達や恋人だったら絶対に話すはずの情報を、 俺たちは、もう共有していないから。
564			だから俺は、 久々の、本当に久しぶりの、 雪菜からのメッセージを、何度も繰り返す。
565			彼女が俺に向けてくれた、 あの鈴が鳴るような声を耳から全身に行き渡らせ、 恍惚と苦痛で全身を引きつらせる。
566			けれど、いつまでもそうしている訳にもいかないことも、 頭の片隅では理解せざるを得なくて。
567			だから俺は、彼女の求めに応じなくちゃならない。
568			１．電話をかける	1. Make a phone call	Choice
569			２．メールを送る	2. Send an e-mail	Choice
570	春希	Haruki	「………」	"........."
571	雪菜	Setsuna	「っ！　は、春希くん？ 春希くんだよねっ！」	"Eh! Ha, Haruki-kun? This is Haruki-kun isn't it?!
572	春希	Haruki	「雪菜…」	"Setsuna..."
573			その声が響いた瞬間襲い来る、 歓喜と動揺と安堵と後悔。	The moment I hear her voice, I feel regret and relief.
574	雪菜	Setsuna	「あは、は… 本当に、かけてくれたんだ。 声、聞かせてくれたんだぁ」
575			電話口の向こうからも、 同じ感情の波が伝わってきて、 お互いの複雑すぎる感情を増幅させる。
576	春希	Haruki	「っ…久しぶり。 元気にしてた、かな？」	"It's been a long time. How are you doing?"
577			本当に、久しぶりの… 雪菜の『春希くん』。	Really, it's been a long time... since she call me "Haruki-kun".
578	雪菜	Setsuna	「うん、元気元気…っ、 最近はゼミも忙しくなってきて大変だよ、あはは…」
579	春希	Haruki	「うん、俺も… ゼミだけじゃなくてバイトも掛け持ちしてるし。 その、だから連絡こんなに遅くなって…ごめん」	"Yeah, me too... Not only seminar, I have to work here and there. So, sorry for calling you this late."
580			聞くたびに、鼻の奥がつんとして、 胸の奥にずんと来る、麻薬のような旋律。
581	雪菜	Setsuna	「ううん、わかってるから。 春希くん、わたしなんかの何倍も頑張ってるって 本当、わかってるから」	"Yeah, I know. Haruki-kun, I know that you are really working hard. Really, I understand that.
582	春希	Haruki	「いや、そんなこと…」	"No, it's not like that..."
583	雪菜	Setsuna	「だから、連絡くれただけで十分だよ。 こっちこそ、ごめんね。 突然、電話しろだなんて厚かましいこと…」	"So, it's enough that you are calling me. Me too, sorry for suddenly calling you like this..."
584			…その瞬間の恍惚感も、 その後の禁断症状も含め。
585	雪菜	Setsuna	「あ、それでね、本題なんだけど。 今日発売の開桜グラフに…」
586	春希	Haruki	「うん、読んだ。 変わってなかったな、冬馬」	"Yes, I read it. She didn't change a bit huh, that Touma."
587	雪菜	Setsuna	「だよね！ 写真見てすぐかずさってわかったもん。 いつの間にか凄いことになってたんだね」	"Right?! The moment I saw that photo, I know that it was Kazusa. Since when did she become that amazing?"
588	春希	Haruki	「国際コンクールで準優勝なんだもんなぁ。 しかもヨーロッパの」	"She won second place in international contest. Moreover, it's in Europe."
589	雪菜	Setsuna	「ちょっとネットで調べたんだけどね、 世界的に有名なピアニストが何人も受賞してるんだって。 …かずさのお母さんも優勝したことあるって」
590	春希	Haruki	「なら、今ごろはお母さんに馬鹿にされてるだろうな。 それで親子で大喧嘩とかしてさ」
591	雪菜	Setsuna	「あはは…冬馬曜子ってそんな感じだよね。 かずさのこと思いっきりライバル視してそう」
592	春希	Haruki	「うん…本当に、そんなふうだったらいいな。 そしたら冬馬、夢を二つとも叶えたことになるもんな」
593	雪菜	Setsuna	「夢、か…」
594	春希	Haruki	「ピアノで独り立ちすること。 母親と仲直りすること… あいつ頑張ったんだな、本当」
595	雪菜	Setsuna	「でも、もう一つの夢は…」
596	春希	Haruki	「…え？」
597	雪菜	Setsuna	「………ね、乾杯しよっか？ かずさの成功を祝って」
598	春希	Haruki	「乾杯って？」
599	雪菜	Setsuna	「春希くん、冷蔵庫にお酒ある？ なければお茶でもジュースでもいいけど」
600	春希	Haruki	「あ、ああ、ビールなら」
601	雪菜	Setsuna	「わたしも今すぐ持ってくるから！ 春希くんも準備してね」
602	春希	Haruki	「あ、おい、雪菜…」
603			………	.........
604	雪菜	Setsuna	「はぁっ、はぁっ、はぁっ… よ、用意できた？　春希くん…」
605	春希	Haruki	「俺は部屋に冷蔵庫あるし。 それより、息整えろよ雪菜」
606	雪菜	Setsuna	「う、うん…ごめん。ちょっと待ってて。 はぁ、はぁ、はぁぁ…」
607			電話口から聞こえてくるのは、 雪菜の、激しく、嬉しげで、興奮した吐息。
608			こんな生き生きとした雪菜の声なんて、 俺の記憶でどこまで遡らなくちゃならなかったっけ。
609	雪菜	Setsuna	「すぅ、はぁぁ…ふぅぅぅぅ～。 よし、落ち着いた。 準備ＯＫだよ、春希くん」
610	春希	Haruki	「それじゃ、開けるから」
611			部屋に、炭酸の抜ける音が広がると、 電話口ではコルクの抜ける乾いた音がする。
612	春希	Haruki	「…そっち、ワインか？」
613	雪菜	Setsuna	「お歳暮でもらったものなんだけどね。 お父さん焼酎党だから、きっと大丈夫」
614	春希	Haruki	「なんだかなぁ…」
615			電話の向こうで、 雪菜がぺろりと可愛い舌を出した映像が、 俺の頭の中に、全く違和感なく広がる。
616	雪菜	Setsuna	「それじゃ、乾杯の音頭をお願いします」
617	春希	Haruki	「お、俺が？」
618	雪菜	Setsuna	「春希くん、が」
619	春希	Haruki	「そ、そか…えっと…」
620			いや、本当は少しだけ違和感があった。
621			俺の頭の中にいた雪菜は、少しだけ幼くて、 悪戯っぽい瞳と、くるくる変わる表情が印象的な、 お陽様のような愛らしさが印象的だったから。
622	春希	Haruki	「冬馬の、ますますの活躍と成功を祈念して…」
623	雪菜	Setsuna	「堅～い！」
624	春希	Haruki	「突然振る雪菜が悪いんだよ！ もういい、乾杯！」
625	雪菜	Setsuna	「あはは、かんぱ～い」
626			ビールの缶を携帯にぶつけると、 受話器から、グラスのぶつかる高い音が聞こえてくる。
627	春希	Haruki	「っ…」
628			一気に喉を通ったビールは、冷たくて、刺激的で…
629			食道を通り、胃の中よりも先に、 胸に染みこんでいった。
630	雪菜	Setsuna	「おめでとう、かずさ」
631			受話器から、今度は拍手の音。
632			心の底から、親友の成功を祝ってる。 心の底から、もう一人の親友と喜びを分かち合っている。
633			そんな純粋な心を奏でる、 何の混ざりっけもない、俺にとって遠い音色…
634	春希	Haruki	「雪菜…」
635	雪菜	Setsuna	「嬉しい、すごく嬉しい。 あ、あは、あはは…っ、 やだ、ちょっと泣けてきちゃったなぁ」
636	春希	Haruki	「………」	"........."
637			なぁ、雪菜。
638			俺は、本当はもう知ってたんだよ。 ５日も前から、ずっと知ってたんだよ。
639	雪菜	Setsuna	「ふぁぁ…これ美味しい。 なんだかどんどん飲めちゃう」
640	春希	Haruki	「お、おい、そんなにグビグビ行くなよ。 雪菜、大学入って少しは強くなったんだっけ？」
641			だけど俺、誰にも… 雪菜にすら、ずっと話してなかった。
642			雑誌の守秘義務とか関係ない。 とっくにネットでは公表されてたニュースだから、 言っちゃいけない理由なんか、どこにもなかったのに。
643			それどころか、俺… 今の雪菜みたいに、かずさの成功を 心から喜ぶことすらできなかった。
644	雪菜	Setsuna	「んく、んく…ん～、大丈夫だって。 ちゃんとゼミや友達の飲み会で鍛えてるから」
645	春希	Haruki	「…よく行くんだ？」
646	雪菜	Setsuna	「いっつも最初っからウーロン茶で、 みんなのひんしゅく買ってるけどね～」
647	春希	Haruki	「ちっとも鍛えてないじゃないか、それ…」
648	雪菜	Setsuna	「いいじゃない春希くん。 …大学に入ってからわたし、 今日ほど嬉しい日なんてなかったんだよ？」
649	春希	Haruki	「っ…」
650			かずさの願いが二つも叶ったのに。
651			あいつは俺の知らない場所で頑張って頑張って、 俺が想像してた最高の結果を叩き出したのに。
652			それでも俺は、純粋に喜ぶことができなかった。
653			何故だか本当はわかってるけど、 絶対に口に出したくない理由で。
654	雪菜	Setsuna	「わたしの大好きなかずさが… 春希くんの大好きなかずさが…」
655	春希	Haruki	「雪菜…俺」
656	雪菜	Setsuna	「今日はもう、お互い『ごめん』はナシだよ？ ね、電話切るまでの約束」
657	春希	Haruki	「っ…」
658			思い知らされる。
659			雪菜が優しければ優しいほど、 俺を許せば許すほど…
660	雪菜	Setsuna	「どんなことがあっても、わたしはかずさが好き」
661			逃げてばかりの自分の狭量さを、 遠ざけてばかりの自分の弱さを。
662	雪菜	Setsuna	「嫌われても憎まれても、やっぱり変えられない。 …かずさにしたら、いい迷惑かもしれないけどね」
663			だからこそ俺は、 自分が雪菜の隣にいる資格がないって、 何度も何度も思い知らされる。
664	雪菜	Setsuna	「どんなことがあっても、わたしは………好き」
665			三年前、あれだけ酷い裏切りをされて、 それでも果てしなく優しいままでいる雪菜。
666			三年前、あれだけ酷い裏切りをして、 それでも彼女の優しさを払いのけてばかりいる俺。
667			こうして俺たちの距離は、二人の望まない方向に、 どんどん離れていくってわかってて、 それでもお互いが、お互いの態度を改められない。
668	雪菜	Setsuna	「だから、今日みたいに嬉しい日くらいは、 ずっとずっと、春希くんとお話、してもいいよね？」
669	春希	Haruki	「………ああ」
670			なぁ、雪菜。
671			そんなにいい子でいないでくれ。 そんなに優しくしないでくれ。
672			俺をこれ以上、追い詰めないでくれよ。
673			………	.........
674			……	......
675			…	...
676	春希	Haruki	「それじゃ、そろそろ…」
677	雪菜	Setsuna	「うん… 随分と長いこと話したね」
678	春希	Haruki	「ああ…もう５時だな」
679	雪菜	Setsuna	「２時間も喋ってたんだ…明日、大丈夫？ 授業あるんだよね？」
680	春希	Haruki	「俺はいつもこのくらいに寝るから。 そっちこそ大丈夫か？」
681	雪菜	Setsuna	「あ、明日はもともと午後からだから」
682	春希	Haruki	「そうか、ならよかった」
683	雪菜	Setsuna	「あ、でもさ、 昔はこのくらいの長電話、よくしてたよね？ あの頃はわたし、本当は結構朝辛くって…あ」
684	春希	Haruki	「………」	"........."
685	雪菜	Setsuna	「ご、ごめんなさい…っ」
686	春希	Haruki	「雪菜」
687	雪菜	Setsuna	「わたし、ちょっと嬉し過ぎて、 それに、酔っちゃってて。 こ、こんなこと言うつもりじゃ…」
688	春希	Haruki	「こら」
689	雪菜	Setsuna	「ほ、本当にごめん、わたし…」
690	春希	Haruki	「お互い『ごめん』はナシなんだろ？ 自分で約束破ってどうすんだよ？」
691	雪菜	Setsuna	「っ…」
692	春希	Haruki	「だから気にするな。 今日は俺も気にしないし、 逆に、今までのこと謝ったりしないから」
693	雪菜	Setsuna	「春希くん…」
694	春希	Haruki	「おやすみ、雪菜。 楽しかったし嬉しかった。 …それだけは、絶対に嘘じゃない」
695	雪菜	Setsuna	「春希くん…っ」
696	春希	Haruki	「うん」
697	雪菜	Setsuna	「………おやすみ、なさい」
698	春希	Haruki	「おやすみ」
699	雪菜	Setsuna	「っ…」
700	雪菜	Setsuna	「叱って、くれた…」
701	雪菜	Setsuna	「っ…」
702	雪菜	Setsuna	「かずさ…ありがと」
703	雪菜	Setsuna	「それから、ごめん…っ」
704	雪菜	Setsuna	「わたし… またあなたを利用しちゃった」
705	春希	Haruki	「………」	"........."
706			『開桜グラフ見た。凄いな冬馬』
707			雪菜が伝えたいのは、 海外での、かずさの活躍。
708			『前から雲の上の存在だとわかってたけど、 正直、ここまでとは思ってなかった』
709			そんな、喜びを分かち合えば分かち合うほど、 お互いの塞がりかけた傷を押し拡げる話題を、 直接、雪菜の口からなんて聞けない。
710			『ま、でも、あいつの才能なら当たり前か。 これを機に、もっと活躍してくれるといいな』
711			だから、せめて文字で。
712			それなら、まるで当たり障りのない内容でも、 一生懸命、想いを込めずに発した言葉でも、 文字通りの意味しか相手に伝わらずに済む。
713			声の高さや大きさや、喋ったときの感情や、 そんな、言葉以外の情報を漏らさずに済む。
714			そして、雪菜からも、 そんな言葉と裏腹の感情を受け取らずに済むから。
715			『嬉しいニュースありがとう、雪菜。 それじゃ、おやすみ』
716			一方的にメールを送ると、 すぐに明かりを消し、布団を頭からかぶる。
717			声を求めた雪菜から逃げ、 かずさの頑張りから逃げ。
718			付属時代の思い出が様々に形を変え、 今になって伝わってくる事実から逃げ。
719			大学生になってから、一歩も進めないまま。 そして、雪菜の歩みさえも止めてしまったまま。
720	春希	Haruki	「ごめん…雪菜」
721			大学を卒業すれば、社会に出れば、 環境が変われば、交友関係が変われば…
722			いつかは俺、 心の底から許せるようになるのかな…俺のこと。
723			『本当によかったね、かずさ。 やっと、夢が叶ったんだね』
724			『…それとも、かずさにとっては、 夢でもなんでもなかったのかな？』
725			『今でも、ちょっとだけ考えてしまうことがあります。 本当にこれが、かずさの目指していたことなのかなって』
726			『…それをわたしが言うのは反則かな？』
727			『だから、今のわたしにできることは、祈ることだけ』
728			『かずさが今回の受賞を本当に喜んでいることを。 ピアニストとしての成功を望んでいることを』
729			『メールありがとう。 本当に嬉しかった。 おやすみなさい』

Script Chart

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